きく2021.11.29
紀元前500年頃。古代ギリシャの数学者、哲学者・ピタゴラスは、
天体のそれぞれの惑星は回転しながら固有の音を発している、
そして太陽系全体が音楽を奏でている、「天球の音楽」という概念を唱えました。
天体や原子の運動とリズム、振動によって発せられる特定の音。
それら全ての音と振動が宇宙の調和をつくりだし、独自のはたらきと性質をもち、
それぞれの要素が全体に貢献している、と考えていたのです。
ここに、実際に土星が発している音を、人間の可聴域まで調整した音も参考に、その周波数と音色に近づけて作曲したひとつの音楽があります。
天球の音楽 / Nanae Uehara
この連載企画では「音」という媒体を通し、
一人ひとりに染み込むような独自の音楽性で、音楽から放出されるエネルギーそのものを表現する新進気鋭の音楽家・上原菜々恵が、古の哲学者や天文学者、数学者の残した研究や音楽を読み解きながら「宇宙と音」の関係を探ります。
音楽制作の背景となる哲学と科学、数学、天文学と、音の連なりと
星と星、天体の運動の連鎖から成り立つ宇宙。
第1回目は宇宙と地球に通じる「ハーモニー(調和)」という概念について。
古代ギリシャにおける「宇宙」
科学的思考と感覚的思考を横断する
冒頭、「天球の音楽」は実際に土星が発している音を、人間の可聴域まで調整した音を参考に、その周波数と音色に近づけて作曲したものである。音色を聴いて、どのような感覚や印象を抱いただろう。人によってさまざまかもしれないその曖昧な感覚の話から、話を進めていきたいと思う。
例えば’’肌寒い’’と感じる時、その感覚がどこからくるものなのか、考えたことがあるだろうか?
気温の低下、気候変動による寒暖差、体感温度の変化…
科学的に説明はすぐに導けても、感覚的に理由を説明しようとすると、難しいかもしれない。
わたしが今回、〈音楽と宇宙〉という切り口から、皆さんと一緒に考えていきたい点は、この問いそのものである。身の回りの当たり前の現象や事象において、科学的視点と、感覚的視点を行き来しながら〈音楽と宇宙〉から見えてくる「ハーモニー(調和)」という概念について、考察していきたい。
話は紀元前500年頃、古代ギリシャに遡る。「宇宙」は抽象的な物語、もしくは詩的な世界として表現され、概念そのものは曖昧なものとされていた。しかし、同時期、数学者・哲学者として知られるピタゴラス(*1)は、当時それまでとは全く違った学説を唱えていた。「数秘術」と呼ばれ、数字に“意味”を与え解釈の領域を拡大してくれる考え方である。哲学者のポルピュリオス(*2)の記述によれば、「数秘術」では「1」は単に頭から順番に数を数えていく時に先頭に来る数字というだけではなく、「統一体、等しい状態、友愛の目標、共感、宇宙の保全といった、同一のものが接続するところから生まれた状態。細部が統一されることで、まるで造物主に感応したかのように統一体のあらゆる部分が調和すること」という意味を持つと記述されている。そして「1」から「4」までの整数を使って作られるのが「テトラクテュス(10数)」と呼ばれる、ピタゴラス派が用いる重要な象徴の1つ。「10」は「完全なる数」とされ物理的数字に感覚的意味を紐付けた数秘術の考え方は、ピタゴラスによる音楽と数字、宇宙と音楽を紐付けるヒントへと繋がっていく。
「音階と数から世界が成立している」という思想
音楽とは数であり、宇宙とは音楽である
さて、そろそろ具体的な音楽の話に移ろうと思う。
古代ギリシャの哲学者アリストテレス(*3)はその「第一哲学」に関する著作群が編纂された書物『形而上学』のなかで、ピタゴラス派の思想をこう説明している。
『ピタゴラス派は数字の原理こそがあらゆるものを支配する原理であると考えるようになっていった。数を用いれば、現にいま存在している様々な事物や生成しつつある様々な事物も、多くの共通性を発見できると考えたのである。しかも、音階の特性と比率も数を用いれば表すことができると考えた。そしてさらに、音楽以外のすべてのものがその本質的なところで数を基にして作られている以上、数が自然界全体で最も重要なものになるわけで、その構成要素こそあらゆる事物の構成要素であり、天界全体も音階と数からできていると考えたのである』
ここで気に留めなくてはならないことは、ピタゴラスはそれぞれの事物同士を接点で繋げるのではなく、’’同じもの’’として考えていたということだ。音楽とは数であり、同時に、宇宙とは音楽だということである。
ピタゴラスは、音楽・宇宙と、人間の共通点を数字によって見つけることで、人間の心と宇宙を結びつけ、人間の気を外側へと向かわせることで、個々人独自の想像性を育みたかったのかもしれない。この考え方は、日本を代表する文豪である宮沢賢治の「四次元思想」とも通ずるところがある。
さらに具体的にピタゴラスの思想についてみてみよう。
ピタゴラスは音楽における3つの種類を説明している。
1.「器楽の音楽」(ムーシカ・インストルメンターリス)
リラを爪弾いたりなど、楽器を演奏するときの音楽をいう。
2.「人間の音楽」(ムーシカ・フマーナ)
これは、たえず鳴り響いているのに人間には聞こえてこない音楽のことで、人体の諸器官、諸臓器が発している音楽であり、とくに精神と肉体の関係が協和的に(あるいは不協和的に)共鳴し合って発する音楽をいう。
3.「宇宙の音楽」(ムーシカ・ムーンダーナ)
これは宇宙そのものの発する音楽のことで、後に天界の音楽として知られるようになる。
一見3段階に区別されたように見えるが、ここで重要なのはピタゴラスはそれらは本質的に全く「同一のものである」としたことである。つまり、笛の音も、人間の音も、宇宙の音も、同じ音を発しているはずだと考えたのだ。その共通性こそが「数字」だと。音楽の法則が、目で見たり耳で聞いたりして知覚できる世界のみならず、知覚できない世界も含めた全領域を支配していると考えていた。ピタゴラスは、一種の治療薬として音楽を用い、自分は治療者であると考えた。3種類の音楽も本質的に同じものである以上、リラを爪弾いて誰かが演奏したりすると、その音楽がいわば人間という楽器に対して共鳴する感じを呼び起こすはずだと考えていたそうだ。ピタゴラス派の人々は夜眠る前にも音楽を用い、心を安らかにしてから眠りについたという。
ピタゴラスが音楽理論をつくるにあたって、ある発見がかかせなかった。そのことが、哲学者のイアンプリコス(*4)の本にも記されている。
『その昔、ピタゴラスは聴覚の捉えた音を体系化するために補助手段となる道具のようなものを何か考察出来ないものかと考えていた。その日ピタゴラスは偶然にも一軒の真鍮細工師の店先を通りかかった。すると、店の中から鎚音が響いてくる。金床の上に載った小さな鉄の破片を叩いているのだ。しかも、その槌音がどれも美しく調和している』
それぞれ違う金槌を揮って同じ鉄の板っきれを叩いているはずなのに、どうしてその槌音が共鳴し合うのだろうか?ピタゴラスは実際に金槌を一つひとつ手に取って比べてみた。そしてさまざまな金槌が発する槌音の音程は、その金槌の重量の比率に正確に対応しているという発見をする。例えば2kgの金槌と4kgの金槌があるとすると、重量比は1:2である。すると、それぞれの槌音は1オクターブ違うというのだ。そしてピタゴラスはモノコードという道具を発明し、この法則を実験してみたのである。モノコードはよく張った1本のガット弦と、自由に位置が変えられる駒でできていた。この実験でも同様な結果が得られたことで、音程関係が数学に基づいているという事実をピタゴラスは発見した。
星の周期運動から生まれる音の観察
天体の音と調和について
ここからはわたしの考察だが、当時の人々は音楽を数学的な視点でみる前は、音楽にある種の魔法性を感じていたり、神聖なものとみていたこともあって、音楽と宇宙は「神秘」という概念で繋がっていたのだろうと思う。それ故、音楽に数学的な真理があるのであれば、宇宙のあらゆる法則の背後にもその真理が存在しているはずだ、と考えていたのではないかと思う。
そしてピタゴラスは天体に関する考えを先人たちから受け継ぎ、1つの論理的な仮説を立てた。天体は公転するときに音を発しているはずだ。もしそうなら、こうした天体の発する音は、当然音楽的で美しく融け合った響きがするだろう、と。ピタゴラス派の人々は、宇宙は巨大な竪琴(リラ)のようなものであると考えた。幾筋もの弦の代わりに水晶でできた天体が並んでいる。そんな巨大なリラである。
西洋の宇宙観に多大な影響を及ぼした、古代天文学の集大成とされるアリストテレスの『天について』では、ピタゴラスの宇宙観をこう説明している。
『地上の物体が動いても物音がするのだから、天体という大きな物体が動けば、必ず音がするはずだ。しかも、太陽とか月といったあらゆる星、数の前でもスケールの点でも桁違いな物が凄い速さで動いているのだ。とてつもない大音量がしないわけがない、こう考えたのである。そして、こうした論拠と、星と星との距離から割り出したさまざまな星の速度が音楽上の協和音程と同じ比率になっているという観察結果をもとに、さまざまな星の周期運動から生まれる音は諧調していると、ピタゴラス派の人々は主張した』
ここで、わたしが思う音楽の「調和」について少し話したいと思う。ピタゴラスが発見した数学的理論は、音楽と宇宙を共通のものと見る視点をわたし達に与えてくれた。この視点を、「体感」に戻してみたいと思う。まず、協和・不協和という音は人それぞれに違っていて、耳の聴こえ方もさまざまだ。その中で、「音楽が調和する」とは、あくまで人間が音楽と会話する、音楽と出会うための舞台と考えてみてほしい。調和という舞台には人間が立っていて、音楽も共に立っている。そこで人間は、音楽が鳴り始めると、ほぼ無意識的に、遮断する音と自分に含めさせる音とを分ける。その自分に含めさせる音とは、その人の協和音であり、この協和音とは、その人の感性という器で元々鳴っている音楽と共鳴している音である、とわたしは考えている。なので協和音・不協和音は音楽理論的にみれば文字や数字で表せる物だが、それと同時にそのような普遍的なものでもない、という側面もあると思うのである。そしてこの普遍性がないという点で、宇宙と音楽は共通しているとわたしは思っている。人は「宇宙」ときいて、人それぞれ、さまざまな思いを巡らせる。故に、宇宙に決まった概念は存在していない。ということは、宇宙は感性を受けとめてくれる大きな器、そして「音楽」もまた、同じなのではないだろうか。
アンビエント・ミュージック、環境音楽から
音楽と宇宙と人間の「調和」を読み解く
さらに「音楽と宇宙の関係」を「音楽と宇宙と人間の関係」として、実際に現代聴かれている音楽を基にもう少し掘り下げていきたい。
今回は「アンビエント・ミュージック」(*5)と「環境音楽」(*6)を持ち出してこのテーマを掘り下げる。
私事だが、わたしは「アンビエント・ミュージック」と、「環境音楽」の概念にも共感しつつ、音楽を作っている。そのためこの2つの音楽性をベースに説明をしていくことを、念頭に置いていただきたい。
「アンビエント・ミュージック」の概念について、提唱者であるブライアン・イーノ(*7)の日記には下記のように記されている。
『われわれは音楽を別の形で使いたかった-生活の雰囲気(アンビエンス)として-そしてそれは連続していて、われわれを取り巻くものであってほしかった』
『わたしがレコードづくりを始めた70年代初期に入ると……(中略)シンセサイザもぎこちない(だが重要な)デビューをとげ、そしてわたしのような人間は毎晩のように家にこもりきりで、……自分のつくれる新しい音響世界に浸っていった。 そしてこの「浸る」というのがポイントだった。われわれはその中で泳ぎ、浮かび、迷子になるための音楽をつくっていたのだ』
この2節から伺えるのは、音楽と人間の位置関係そのものにアンビエント・ミュージックの本質がある、ということである。 そしてこれは「環境音楽」でも本質的部分である。環境音楽を紹介するにあたっては、故芦川聡(*8)の名前を出しておきたい。彼は創造的音楽教育に心を寄せ、音楽療法にも大きな関心を持ち、自らこのようなテーマに総合的に立ち向かう会社を設立するなど、日本の環境音楽を率先した人物として知られる音楽家である。彼の生前のインタビュー記事からは、彼なりの音楽観を感じとれる。
『視覚的なものを説明するときにいう「図と地」という関係が音楽にも存在する。メロディーと伴奏などその典型だ。「図」は作者の表現が強く出ているもの、つまり表現された主体だ。「地」は「図」の表現性を高めるため、「図」に奉仕する。私の音楽は、この「図と地」の関係が曖昧なもので、聞き手の方が「図と地」を自分なりに位置付けられるようなものだ。この「図と地」の曖昧な関係というのは「風景」だ。それゆえ、わたし自身の音楽を「風景としての音楽」と呼んでいる。「風景としての音楽」は、集中して聞くときは「図」としての音楽の何ものかを聞き出すこともあるだろうし、集中しないで聞くときは聞き手の活動(おもに精神的な)が「図」になり浮かび上がってくるかもしれない。……そして、たとえ集中して聞いたとしても、特定の自我(作者)の世界に導かれることなどなく、「図」を切り取る創造的聴取(*9)は、その聞く主体の記憶や視覚的イメージや説明のつかないその個人の世界へと深まっていく』
彼の音楽観の中に、ひときわ「宇宙」と類似した表現がある。
『たとえ集中して聞いたとしても、特定の自我(作者)の世界に導かれることなどなく、「図」を切り取る創造的聴取は、その聞く主体の記憶や視覚的イメージや説明のつかないその個人の世界へと深まっていく』
この表現は、人が宇宙を想う感覚と似ているとわたしは思う。宇宙はそれ自体が普遍性を持っていないからである。だからこそ、数学的に考える人もいれば、感性的に思想する人もいる。宇宙ってなんだろう?音楽ってなんだろう?人ってなんだろう?生命ってなんだろう?
科学的な答えはあるのに、私たちはこれらに対して想像力を捨てないのである。この現象は芦川氏の『「図と地」の曖昧な関係』と言い換えることができるとわたしは思う。 この関係に対してわたしが考えたことは、〈これらは全てが内包されながら、それぞれによって包括されてもいるということ。〉したがってこの考えが、今回のわたしのアンサーとなる。
音楽と宇宙のおもしろいところは、数字的な共通性にとどまらず、感覚的な、古代の人々が感じていた神秘性、神聖性でも共通している部分である。
最後に、中盤で触れた「調和」についてまとめ、第1回目の考察の終わりとしたいと思う。
「調和」という考え方は、今の現代に必要な要素だと、わたしは強く思っている。現代、○○主義などといった様々な思想は、政治や、国の在り方、個人の生き方に至までに応用されている場面を、よく目にすると思う。宗教もまたそのひとつであるとわたしは考えている。そして人は、こういった主義・主張の正しさを他人へ主張してきた歴史をもつ。その先には戦いや分断も現れている。自分が良いと思うものは、他人も良いと思う。という考え方は、波乱を招いている。 また、他人との距離感覚に難しさを感じている人々が多いとわたしは思う。天体世界でも、太陽が地球に近づいてくれば、地球は前年よりも暑くなったりと、天体同士の距離感覚は私たちにも強い影響がある。その距離感覚も、お互いに尊重する心を忘れない。という感覚がとても大事なのではなかろうか。 わたしは人と人が分かり合うことはないと思っている。分かり合えないからこそ、対話をする理由があるのだと思う。相手を説き伏せるのではなく、お互いが個性をもって、’’尊重し合うこと’’が現代にはとても必要だ。このバランスこそ、音楽・宇宙の調和のハーモニーから学ぶべきところではないだろうか。
互いが個性(天体それぞれの成り立ちの違いによる個)をもち、その個が対話(天体それぞれが発している音楽)をして、ハーモニーという調和を生み出してゆく。
以上が、わたしが自分の活動の根底にしている、感覚である。
数字的な音楽と宇宙の繋がり。それは先人達が口々にしていた“ロマン”そのものを体現したもの、と一言で片付けてしまうことも簡単にできてしまうと思う。しかし音楽や宇宙が、現代の私たちを魅了し続けるのには、それ以上の理由があるのではないか。未だ未知なことであふれる詩的な世界は、心の中であなたに思い出されることを、今も待っているのかも知れません。今後もこの連載を通じ、科学的視点と感覚的視点、そして宇宙と音の連なりについて、さらに考察を重ねていきたい。
2021年10月 某日 上原菜々恵
本文中の注釈については下記に記しておく。
*1ピタゴラス…
紀元前582年 – 紀元前496年。古代ギリシャの数学者、哲学者。ピュタゴラスとも表記される。音階の主要な音程に対応する数比を発見したとされている。秘密主義だったため、ピタゴラス本人の著作物は後世に一点も伝わっていない。そのため彼の伝聞は弟子の著作や、後世の伝記などが基になっている。
*2ポルピュリオス…
234年 – 305年。ネオプラトニズムの哲学者。師はプロティノス。
彼の著書『エイサゴーゲー』は論理と哲学の手引きとされている。
*3アリストテレス…
紀元前384年 – 紀元前322年。古代ギリシャの哲学者。
プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンとしばしば西洋最大の哲学者の一人とされる。「万学の祖」とも呼ばれる。
『形而上学』https://ja.wikipedia.org/wiki/形而上学_(アリストテレス)
*4イアンプリコス…
245年 – 325年。シリア人のネオプラトニズム哲学者。
ピュタゴラス主義哲学を要約したことで最もよく知られている。
イアンプリコスの時間論
1.永遠-可知的な世界の尺度となる
2.流れ去らない時間-可知的な世界に存在し、感覚的世界の尺度となる
3.流れ去る時間-感覚的世界に存在する
*5「アンビエント・ミュージック」…
イギリスの音楽家ブライアン・イーノが提唱した、音楽の新しい在り方。自身の1978年発のアルバム「Ambient 1: Music for Airports」をひきりに(彼自身は1975年発「Discreet Music」は既にアンビエントの初期段階であった。と後に明かしているが。)、現在まで広く知られることとなった。当時既にミューザック(株)によって1950年代に出されていた音楽とは違い、それぞれの環境の音響的・雰囲気的な独自性を強調しようとすることによって、平穏さと思考の余地を生み出すように意図されている。エリック・サティ (1866年 – 1925年フランスの作曲家)の「家具の音楽」などに影響を受けている。
『A year』(ブライアン・イーノ の日記が書籍化されたもの。)
・Amazon
https://www.amazon.co.jp/year-ブライアン・イーノ/dp/4891945532
*6「環境音楽」…
日常生活における人間と音・音楽のかかわりの再認識としての音楽。「音のデザイン」とも表現される。芦川氏はインタビューで『音のオブジェ。一つの環境としての音楽。何気なく聞くための。』と表現している。エリック・サティ、シェーンベルク(1874年 – 1951年オーストラリアの作曲家、指揮者、教育者。無調である12音技法を創始したことで知られる。)、ジョン・ケージ(1912年 – 1992年アメリカの音楽家、作曲家、詩人、思想家、実験音楽家など肩書きは様々。偶然声の音楽『4分33秒』は時折議論の的となっている。)、などからも影響を受けながら、日本独自の音像を構築していると海外からも定評がある。2019年、米シアトルのレーベルが80~90年代の環境音楽のみを集めたコンピレーション『KANKYO ONGAKU: JAPANESE AMBIENT ENVIRONMENTAL & NEW AGE MUSIC 1980-90 』をリリースするなど、再評価されている。
都市のサウンドスケープへと投げ出される、という視点でYMOを環境音楽と表現する批評家もいるほど、音響性は多種にわたる。
*8芦川聡…
1953年 – 1983年日本の音楽家。不慮の交通事故により30歳という若さでこの世を去るまで、鋭い洞察力で世界を俯瞰していた音楽家と言っていいだろう。彼の送り出した音楽は、今も誰かの風景となりながら存在し続けている。
芦川聡 唯一のアルバム『Still Way』1982年発
・販売サイト
(https://meditations.jp/products/芦川聡-still-way-wave-notation-2-lp)
*9創造的聴取…
ジョン・ケージが作曲家の意思を音楽に表現しないために、音楽の中に偶然性を持ち込んだ音楽のことを、芦川が「非表現的音楽」と呼んだ。その非表現的音楽に必要とされる、何かを感じ取るという聞き手側に必要とされる態度のこと。
Reference
*本文を執筆するにあたり、概要を把握するため、下記の書籍を参照し、引用を掲載させていただきました。
*書籍『天球の音楽 歴史の中の科学・音楽・神秘主義』-
ジェイミー・ジェイムズ:著 / 黒川孝文:訳
1999年生まれ。音楽から放出されるエネルギーそのものを表現する音楽家。その独自性の強い音楽は一人ひとりに染み込むような、不思議な音世界を描く。2021年、「生命に内存する自然治癒力を促進する物質」というコンセプトのもとに1stアルバム『fibrlin』を発表。最新号の資生堂『花椿』への楽曲提供なども話題を呼んでいる。世界を舞台に活躍するアーティストを目指して活動中。