きく2022.01.06
text: Katsumi Watanabe
国内外問わず、宇宙や星をモチーフにした楽曲やアルバムはたくさんある。確かに、まだ見ぬ惑星に想像を膨らませるし、美しい星空はラブソングのテーマにぴったりだ。 しかし、海外の宇宙をテーマにした作品を調べてみると、音楽家のバックグラウンドや社会的、文化的な背景なども色濃く反映されていることがわかった。この連載では、宇宙をテーマにしたアーティストとジャケットを中心に調べてみよう。
今回はクラフトワークなどの電子音楽、はたまたSF的映画や経済書から影響を受け、アフリカ・バンバータ「Planet Rock」以前に、アフリカンアメリカン初のエレクトロファンク「Clear」を発表していたデトロイト・テクノ界を代表するサイボトロンについて。
1970年代後半のアフリカンアメリカンのDJたちは、クラフトワークをはじめとする電子音楽をダンスミュージックとして捉えていた。音楽の歴史を紐解いていけば、今ではごく当たり前のことになっていることだけど、ヒップホップやハウス、そしてテクノなど、その後のダンスミュージック、ポップミュージックへ与えた影響を踏まえれば、発明的な解釈だといっていい。その影響はNYだけにとどまらず、全米各地に拡がっていく。1997年にグラミー賞の“Remix of the Year”を獲得し、マイケル・ジャクソンやマライヤ・キャリーなどなど、数多くのリミックスを手掛けたDJ、フランキー・ナックルズ。彼が80年代に拠点を置いていたシカゴで手掛けたプロダクションには、クラフトワークをはじめ、デペッシュ・モードやウルトラヴォックスなど、ヨーロッパの電子楽器を導入したポップミュージックの影響が色濃い。シンセサイザーが出回ってから20年弱という時期ゆえ、本家ヨーロッパのエレポップスにせよ、まだまだ実験色が漂う作品が多い。そんな中、ナックルズはシンガーやDJ仲間たちとシンセサイザーやリズムボックスを使い独自のサウンドを手掛けていく。ナックルズがプロデュースしたジェイミー・プリンシプル「Your Love」など、楽曲はもちろんだけど、ジャケットビジュアルさえ、そのまんまクラフトワークを引用している。
左: 『人間解体(ザ・マン・マシーン)』/クラフトワーク
右:「Your Love」/ジェイミー・プリンシプル
シカゴから東へ280マイル、車で4時間ほどの場所にあるデトロイト。かの有名なデトロイト・テクノが産まれた街だ。特異ながら、現在のエレクトリック/ダンス・ミュージックに絶大な影響を与えた音楽が、いかにして産まれたのか。それは、街の歴史を振り返ってみると、なんとなくわかってくる。
19世紀から自動車産業で栄えたデトロイトに、20世紀に入りフォード社の量産工場が設立された。1914年にはヨーロッパ系の人種だけではなく、アフリカンアメリカンの雇用も認め、同様の賃金が支払われた。アメリカの自動車産業の中心地、強いては世界中から近代性という意味の“モダニティ”のモデルケースとして、街自体が発展する。しかし、実際には人種差別が存在し、公民権運動へ参加する人も多かった。1967年を皮切りに度々起きた暴動でダウンタウンは廃虚化。さらに、産業の中心だったフォード社も経営不振、オイルショックから、デトロイトの工場の規模が縮小や移転を余儀なくされた。デトロイトが掲げたモダニティは、残念ながら払拭されてしまう。60年代のデトロイトの様子は、映画『デトロイト』(2018年)に一部描かれているが、アフリカンアメリカンが生活するには、かなり過酷だっただろうと推察される。そして、映画『ロボコップ』(87年)の舞台になっているデトロイトも、劇中の設定は近未来の犯罪都市ということになっているけど、かなりリアルに表現されている。筆者が2003年に訪れたデトロイトを、東京の街で例えるなら、フォード本社近辺のダウンタウンは、JR恵比寿駅周辺の規模の街並みだった。しかし、真昼間の恵比寿駅近辺に、誰もいないという光景を想像できるだろうか。ビルの影にはドラッグディーラーらが潜んでいるため、絶対に近寄らないよう空港やホテルのカウンター、そしてなにより地元のDJチーム、アンダーグラウンド・レジスタンスの面々から警告を受けた。事前に情報は知っていたけど、かなり衝撃を受けたものだった。補足だが、2020年に訪れた知人によれば、ダウンタウンの空き家は、格安でアーティストや学生に貸し出され、街の治安は徐々に改善されているという。
広く知られている通り、デトロイトは〈MOTOWN(モータウン)〉を生んだ音楽の街でもあったが、70年代には本拠地をLAに移してしまう。
Pファンクをこよなく愛するDJ、ホアン・アトキンスが、コミュニティカレッジで出会ったというベトナム帰還兵で、ドイツの電子音楽やプログレッシヴ・ロックに精通するリチャード・デイヴィスと出会いサイボトロンを結成したのは1980年。同年に発表したシングル「Alleys Of Your Mind」は、クラフトワーク直径のエレクトロファンクで、地元のラジオDJであるエレクトリファイン・モジョのパワープレイによってローカルヒットを記録。ちなみにこの曲はバンバータの「Planet Rock」より2年早く、実はアフリカンアメリカンが初めて制作したエレクトロファンクとして記録されている。クラフトワークからリエゾン・ダンジェルーズ、アシュ・ラ・テンペルなど、ヨーロッパの電子音楽を貪るように聴き、サルバドール・ダリなどの絵画を愛で、羨望の眼差しで映画『メトロポリス』といったSF映画に見入ったという2人。いわゆるアフリカンアメリカンやデトロイトの芸術文化とはまったく別の作品に、自らの未来を重ねていく。アトキンスは、デイヴィスから勧められ「テクノの教科書」として愛読したのが、作家にして未来研究家のアルビン・トフラー『第三の波』という一冊。農業革命、工業革命のあとにくる情報革命を第三の波とした。80年に発表された書籍だが、現在読み返してみると、少々古いSF的な作品ではあるが、多くの人が体験している通り“情報産業”という意味で、多くの点が当たっている。アトキンスがインタビューで語っている通り「モータウンの音楽ではなく、フォード社のロボットに共感する」というのも納得する。
この後、2人は数枚のシングルを経て、1983年にアルバム『Enter』を発表する。宇宙空間で粒子化する人間を描いたジャケットは、クラフトワーク的ともいえるが、2人が影響を受けたさまざまなテクスチャーを引用し、見事に作品化している。また、「Cosmic Cars」や「Cosmic Raindrop」では、宇宙を示すスペースの代わりに“コズミック”という言葉が使われている。宇宙的という意味であると同時に、「秩序整然」という意義を伴った言葉は、あたかもズレることなく一定のテンポを保った機械的なフレーズやビートを表しているようだ。また、ミッシー・エリオットが『Lose Control』(2005年)にサンプリングした名曲「Clear」は、 「Alleys Of Your Mind」に続くエレクトロファンクでデトロイト・テクノを代表する名曲。曲名の「消去」は、SF作品に多く登場するキーワードだが、繁栄が過ぎ去り、虚無感溢れるゴーストタウンを歌った曲に感じられる。
サイボトロンに端を発し、80年代にはデトロイト産のテクノが数多く発表されることになる。しかし、多くの曲で“Cosmic”という言葉が引用されるのは、サイボトロンの影響も感じられるが、アメリカの現実に絶望し、宇宙を夢想したのではないだろうか。
Reference
▼ 宇宙名盤 vol.8
・『Wax Poetics Japan』No.07 (2009年11月29日発売)
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