きく2022.02.28

「音」から宇宙に耳を傾ける vol.2「音と空気」

Nanae Uehara

紀元前500年頃。古代ギリシャの数学者、哲学者・ピタゴラスは、天体のそれぞれの惑星は回転しながら固有の音を発している、そして太陽系全体が音楽を奏でているとした「天球の音楽」という概念を唱えました。天体や原子の運動とリズム、振動によって発せられる特定の音。それら全ての音と振動が宇宙の調和をつくりだし、独自のはたらきと性質をもち、それぞれの要素が全体に貢献している、と考えていたのです。

 

この連載企画では「音」という媒体を通し、一人ひとりに染み込むような独自の音楽性で、音楽から放出されるエネルギーそのものを表現する新進気鋭の音楽家・上原菜々恵が、古の哲学者や天文学者、数学者の残した研究や音楽を読み解きながら「宇宙と音」の関係を探ります。音楽制作の背景となる哲学と科学、数学、天文学と、音の連なりと星と星、天体の運動の連鎖から成り立つ宇宙。第2回目は「音と空気」について。

「音と空気」

 

「音」は宇宙に行くとどうなるのでしょうか?そして「きこえる」とはどういうことなのでしょうか?

現在の科学では「音」は「空気」を媒質として振動し「空間」を通して伝えられる波であると考えられています。その論理に基づくと、真空状態である宇宙においては、音は聞こえないということになります。しかし、本当に、そうなのでしょうか?今回は、音を伝えるものとされている「空気」について思いを巡らそうと思います。まずはこちらの一曲から。

 

 

私たちが「きこえる」というとき、そこには目に見えない「音」が存在することを誰もが感じとっています。そしてそこには同時に、意識されることのない媒質ー「空気」と「空間」がある、と仮定します。発信源から発せられた振動が「空気」を震わせることで、「空間」に響き、私たちはそれを「音」と呼んでいます。では、そもそも「空気」とはどんな存在なのでしょう?

 

 

現代の科学に基づく「空気(大気)」

 

今日ではあたり前のことのように宇宙にはないとされている「空気」について、まずは科学的な視点から思考してみようと思います。

 

歴史を辿ると、「空気」の原始は、生命誕生の歴史と隣り合わせの史実と考えられていることがわかります。地球が誕生して間もない約46億年前。当時の空気(大気)は蒸気、二酸化炭素、窒素などのガスに満たされたものであったと考えられています。やがて水蒸気は冷えて雨となり海をつくり、水に溶けやすい二酸化炭素は海に溶け込みました。その後、海の中で誕生したシアノバクテリアという細菌が、海の中の二酸化炭素と太陽の光で光合成を行い酸素を作り出して、生き物が呼吸できる現在の空気ができたと言われています。(なぜこの空気が生き物の呼吸と調和したのでしょうか。気になりますが、ここでは深追いしないことにしますね)空気は、地球の持つ強い引力により、他の惑星へ移ることなく、地球にとどまっています。現代の空気(大気)は約80%が窒素、約20%が酸素、その他アルゴンや二酸化炭素などが、ほんの少し含まれています。もしも宇宙の他の惑星が地球よりも強い引力を持っていれば、地球は今とは違う環境になっていたのかもしれません。

 

 

思想・物語に基づく「空気(くうき)」

 

50年以上読み継がれてきた物語に、アメリカ自然史博物館元館長であるフランクリン M. ブランリーが、子どものために著した作品に、『くうきは どこに?』(福音書館)があります。同じように、世界中の作家や文学者がその目に見えない「空気(くうき)」の存在を、物語の中で語り継いできました。ここでは「空気(くうき)」を主人公のように、一人称で考えてみます。

 

「くうき」は、日々色々な自分以外のなにかを体感しています。「くうき」は地球上の生物の生命とともに、時間をともにしながら、その一部になっていく。中でも、時代が進んだ現代の社会においては、過度とも言える都市開発などの大音量をいつも体感しています。

 

「くうき」に性格があるとしたら、今、どんな気持ちなんだろう?と考えることがあります。「くうき」が好きな音や、「くうき」が奏でる音楽も聴きたいな、と思ったりします。物語で描かれてきた「くうき」を主体に考えると、人もまた「くうき」とも言えるのかもしれません。(例えば、人がどのような理由で生まれたのかは分かりませんが、植物など二酸化炭素が必要な生命にとっては、二酸化炭素を発生させる人間はパートナー的存在なのかもしれません)

 

 

物理学理論に基づく「空気(エーテル)」

 

空間に何らかの物質が充満している、という考えは古代ギリシャ、そして近代における研究者の間でも多くの説が唱えられてきました。その中でも古くから神学やスコラ哲学、キリスト教や物理学理論に至る多くの分野で考えられてきた概念に「エーテル(蘭: ether、古希: αἰθήρ)」があります。

 

ここでは「エーテル」という存在から「空気」について考えたいと思います。

語源はギリシア語の「アイテール」。「つねに輝きつづけるもの」を意味し、古代ギリシアにおいて大気の上層、雲や月の領域、あるいはゼウスの支配する領域を意味していました。そしてアリストテレスにより四大元素説(四大元素により世界が成り立っているとされていた)が唱えられると、天体を構成する要素、五大元素として「エーテル」という物質が、天海を構成していると考えられていました。これらはのちに物理学理論や化学物質としての「エーテル」の概念に繋がっていくことになります。

 

そして実験物理学者として望遠鏡の製作を行い、光学について研究していたアイザック・ニュートンは、「エーテル」は気体よりも微細で、弾性があり、全ての現象はこの媒質を通して行われているのではないか、と考えていました。(*物理学理論においては特殊相対性理論以前、17世紀のルネ・デカルトに始まる「光の波動説」が唱えられ、光はエーテルの中を伝わる振動である、と考えられていました。一方、アイザック・ニュートンは1704年『光学』(Opticks)という著書の中で光を微粒子の放射と仮定し「光の粒子説」を唱えていました)

 

特殊相対性理論以降、物理学の世界において、「エーテル」についての議論は未だ結論が出ていません。しかしさまざまにエネルギー変換される「音」の不思議について考えた時、「音」は果たして何分子と結びついているのでしょうか?「空気」に存在するのだから気体中のなにかとは結びつくのでしょうか?「音」をミクロの視点で考えてみると、もしかしたら、「音」は「エーテル」と結びついているのかもしれません。

 

 

音と空気、そして「空間」が内包するもの

 

ここに、「空気」がある、ということは現代社会を生きる私たちにとって、当たり前に共有されていることです。目には見えないけれど、なにかここにある。「空気」や「空間」と呼ばれるもの。その共通認識の中で、私たちは世界の輪郭を知り、また自分自身という存在を自覚しています。しかし、もし、世界からこの共通認識がなくなったらどうなるのでしょうか?「空気」や「空間」がなかったら、自分自身を自覚することもできなかったのかもしれません。そして自分自身の存在の輪郭とともに、世界の広がりを感じさせてくれる「空間」を意識できなかったとしたら、意識は内側の世界へ向いていくことになるのかもしれません。

 

 

おわりに

 

さまざまに「空気」について思いを巡らせてきましたが「音」と「空気」の切っても切り離せない仲は、人でいう連帯感や仲間意識へ転換できるようにも思います。今年も始まりましたが、「空気(空間)」を意識し、世界と自分の輪郭を感じながら、自分ごとで何にでも接せられるように、繋がりの船を音楽で船出させていきたいです。今年もよろしくお願い致します。

 

2022年1月某日  上原菜々恵

 

<Reference>

 

参考図書

・ヴィクター・J・ステンガー『宇宙に心はあるか』(講談社、1999)

・アイザック・ニュートン『プリンシピア 自然哲学の数学的原理 第1編 物体の運動』(講談社、2019)

・アイザック・ニュートン『光学』(岩波文庫、1983)

・アダム・ハート=デイヴィス他『科学大図鑑』 (三省堂、2018)

・広瀬立成『真空とはなんだろう』(講談社、2003)

・唐澤誠『音の科学ふしぎ事典』(日本実業出版社、1997)

関連本(テーマへのすすめ)

・手塚治虫『上を下へのジレッタ』(講談社コミッククリエイト、2011)

 

参考ページ

重力と引力の違い

空気の起源