特別連載2021.12.07
photo & text Yozo Hirano
出発まであと6日。
今から31年前の1990年の今日、日本人で初めてTBS社員の秋山豊寛さんがここバイコヌールから宇宙へ旅立った。いま僕たちが滞在しているコスモノートホテルの敷地内には、秋山さんのネームプレートと記念樹が、歴代の飛行士のものと共に並んで植っている。
日本で最初の宇宙飛行士が民間人だったことは有名だけど、その人の気持ちになって考えてみたことなど、今まではもちろんなかった。JAXA飛行士を抑えて、民間人が日本人として初めて宇宙に行くという、当時の秋山さんの心境を考えると想像を絶する。しかもTBSの社運を一身に背負って、どれほどのプレッシャーだったのだろう。少し今の自分を重ねてみたけど、時代も状況も訓練の内容も過酷さも違えば、一緒にするのは烏滸がましくてやめた。
今もGCTCには、「俺がAkiyama-sanに教えてたんだぜ」と自慢してくれる先生も何人か残っていて、当時の打ち上げの貴重映像を見せてくれた先生もいた。今でもGCTCの1号棟の廊下には秋山さんの写真が飾られている。日本人として誇らしく、自分が実際に一部を経験してみて、秋山さんが成し遂げた事の大きさを知り、尊敬の念に堪えない。
31年後の12月2日の今日は、ソユーズの2回目のフィットチェックのためにSite254にもう一度向かった。今日はとても暖かくて気温が朝から10℃もあった。打ち上げ当日もこのくらい暖かければ、日本から見送りにきてくれるゲストに見てもらいやすくて良いな、とか思いながら、さて本番当日はどうだろうか。
Site254に到着すると、ファクトリーの入り口付近すぐにあったフェアリングがなくなっていて、見上げると黄色い足場に囲まれて、フェアリングが直立していた。ついにソユーズがフェアリングの中に格納されたのだ。フェアリングとソユーズカプセルの隙間はほとんどなく、しっかりと合体していた。これが約80km上空で真っ二つに分かれて外れることを想像しただけでも凄い。
フェアリングの入り口近くには、前澤のMZロゴと日の丸国旗が。改めて見ても、やっぱりカッコいい。「大富豪にしかできない」と言われるのはもはや仕方ないとして、それでも個人のマークをロケットに掲げることは、宇宙の民主化に対する大きなメッセージになると思った。
先日の1回目のフィットチェックでは、実際に宇宙服を着て操作姿勢を取り、オペレーションに支障がないことを細かくチェックした。2回目の今日は、フライトスーツ(ブルーのジャンプスーツ)のまま機体に入り、カプセルの中に充填されるように積み込まれたペイロードのパッキングの場所を確認したり、大事なものが積み忘れていないか、GoProやカメラの位置に問題がないかなどを入念にチェックした。1回目は広く感じた船内も、今回はたくさんの荷物で少し圧迫感を感じた。
ソユーズの準備は万全だった。僕がホテルでゆったり過ごしている間にも、ここで日夜ロケットの準備をしてくれている人たちが大勢いることを思うと、感謝の気持ちしか出てこない。ロケットの打ち上げには本当に多くの人たちが関わっている。でも実際ロケットに乗れるのは、たったの3人。その3人を打ち上げるためだけに、どれだけの時間と人材、労力とコストが掛かっているのか。考え出すとちょっと吐きそうになるけど、もう目前に迫ったフライトに、ただただ感謝を持って臨もうと思う。
1985年、愛媛県生まれ。2007年にZOZOTOWNを運営する株式会社「スタートトゥデイ」に入社、フルフィルメント部門の責任者として従事。現在は前澤友作氏のマネージャーと、「スペーストゥデイ」のプロデューサーを務める。