特別連載2021.11.26
photo & text Yozo Hirano
出発まであと45日。
日曜日の今日は、珍しく特に何も予定がなく、各々でゆっくり過ごすことになった。体が早起きに慣れてしまっているせいで7時くらいには起きていたけど、LINEやインスタを見ながら、ダラダラと昼までベッドの中にいてしまった。
午後からホテルのジムで軽く汗を流し、プールとサウナを行き来していると、そこに小木曽が入ってきた。考えることとタイミングが一緒で、小木曽も何もやることがなかったみたい。
今日の日記は特筆してこれ以上書くことがないから、せっかくなのでバックアップクルーの小木曽詢について書いてみようと思う。
小木曽と出会ったのは今から3年半前、2018年の夏のこと。前澤が2023年にSpaceXのStarshipに乗って月周回旅行を行うと発表した年。このプロジェクトのPRスタッフとして、20代後半の活きが良い奴で、前澤のパンクな感性も理解し、且つ英語が話せる、という人材として、当時まだ広告代理店に勤務していた小木曽に白羽の矢が立った。性格は、一見ドライに見えるけど、芯は熱く、個を持ち、顔は岸部一徳に似ている。
…そこから話し始めるとかなり長くなりそうなので一気に割愛するけど、SpaceXでの会見を無事成功させた後、しばらくしてチームに正式にジョイン。その後、前澤のPRとしてメディア対応の傍ら、引き続きdearMoonや、最近ではお金贈り、前澤式ベーシックインカムなど様々なプロジェクトを担当している。僕たちとともに世界中を前澤に付いて回り、本当に色んな苦楽を一緒に乗り越えて、今回のISSフライトのバックアップクルーにまで前澤から任命されることになった。
そもそもバックアップクルーとは。メインクルーにもしも何かあったときのために備えて、必ずフライトにはバックアップクルーを任命しておかなければならない。訓練中にケガをしたとか、直前にインフルエンザや、今だったらコロナに掛かってしまっただとか、そういう想定外のクルーのアクシデントに備えて、バックアップクルーは打上げの直前までメインクルーと行動を共にし、ロケットが打ち上げられる30分前まですぐそばで待機している。なのでバックアップクルーの小木曽も現在、前澤と僕と全く同じ訓練を日々行なっている。前澤にもし何かあった場合には、理論上は僕と小木曽の2人で宇宙に行くことになり、もし仮にそうなった場合、誰の何のためのミッションなのか、見ている日本中、いや世界中の人たちが「ん、、お前ら誰?」という状態になってしまうので、このパターンは今は誰も想定しないようにしている。スターシティの誰に聞いても、そのケースは考えていない、としか答えてくれない。兎にも角にも前澤には健康第一でいてもらう他ない。
小木曽の仕事は、一言で言うと、前澤が行なっていることや思考をメディアを通してどう世の中にアウトプットしていくか。そういった意味では、PRマンの小木曽が宇宙へ行くための同じ訓練を行っていることは、これまでに前例のない非常に稀で面白い立ち位置だと改めて思う。そしてバックアップという不思議なポジション。僕たちと同じように過酷なメディカルチェックをパスして毎日同じ訓練を行なっているのに、予定通りにいけば小木曽が宇宙に飛ぶことはない。例えるなら何だろう、とみんなで話したことがあるけど、大会を控えた部活の補欠メンバーのそれに近いだろうか。どんなテンションで、どんなモチベーションで、どんな感覚なのか気になるけど、結局本人にしか分からないだろうと思う。サポートに徹する傍ら、これだけ毎日の訓練を受けていたら、自分も宇宙に行ってみたいという気持ちが芽生えなくもないと思う。
訓練では、常に本番を想定して前澤と僕は2人セット、もしくはサシャと3人セットで動くことがほとんどで、バックアップの小木曽は授業のクラスが別々になることが多い。(コマンダーにもバックアップコマンダーが任命されていて、小木曽はその宇宙飛行士と行動を共にする。)一人きりでロシア人に囲まれて、それでも毎日真面目に訓練を受け、時に知らない耳寄りな情報をインストラクターや通訳から仕入れてきてくれたりする。講義中に僕が聞き取れていなかった箇所を教えてくれたり、試験勉強を一緒にしたり。僕にとっては本当に有難い存在であり、宇宙に前澤とともに渡航させてもらう身としてバックアップの小木曽に申し訳が立つようにと、自分を鼓舞させてくれる存在でもある。小木曽がバックアップクルーでよかった。
1985年、愛媛県生まれ。2007年にZOZOTOWNを運営する株式会社「スタートトゥデイ」に入社、フルフィルメント部門の責任者として従事。現在は前澤友作氏のマネージャーと、「スペーストゥデイ」のプロデューサーを務める。